ノーインベストメント・ノーライフ


株ときどき雑記
ライブドアショックあたりから株式投資をスタートした個人投資家
紆余曲折を経て高配当銘柄投資にたどり着く
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    タグ:戦争

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    1:2015/08/10(月) 21:09:37.78 ID:
    今年、2015年は戦後70年。
    「終戦」の定義は様々あり、日本では玉音放送のあった8月15日ですが、諸外国の多くは戦艦ミズーリ艦上で降伏文書の調印式が行われた9月2日を終戦の日としています(サンフランシスコ講和条約の調印・発効をもって正式な「戦争の終結」とする考え方もあります)。

    【関連:1945年8月19日、満州から妻を同乗させ飛び立った特攻兵がいた。】
    http://otakei.otakuma.net/archives/2013061901.html


    YouTubeより

    降伏文書の調印式では、最後に連合国軍(アメリカ軍)の大編隊による航過飛行が行われましたが、ついこの間まで同じ飛行機によって攻撃されていた市民の目には、この編隊飛行はどのように映っていたのでしょうか。



    さて、この戦争は映像メディアが本格的に活用された戦争といえます。
    各国で戦意高揚を目的とした様々なプロパガンダ映画が製作されました。
    当然ながら、その中にはアニメもあります。これらアニメを目にする機会はほとんどありませんが、ここでいくつかの作品をご紹介しましょう。

    アニメというのは、プロパガンダには非常に適した表現手法です。その特徴は

    ◆実写と違って省略表現ができるので、主張を明確化・単純化できる
    ◆生身の役者が画面に登場しないので、生々しさが薄れる
    ◆大きく誇張表現ができる

    など。実写に較べて余計な情報を排除し、表現に集中させることができるので、主張したいことをイメージとしてより強く・解りやすく伝えられる訳です。
    解りやすさは、様々な層へ主張を届けることも可能になりますから、この点で非常に優れているのです。
    それでは、各国で制作されたプロパガンダアニメを見てみましょう。

    ■日本
    日本で作られた戦意高揚アニメといえば『桃太郎の海鷲』や『桃太郎 海の神兵』が有名ですが、ここでは同じ海軍省の協力により制作された『フクチヤンの潜水艦』をご紹介しましょう。
    1944年に公開された、横山隆一のキャラクター、フクちゃんを主人公にした作品です。



    ストーリーは、フクちゃん乗り組む潜水艦イ1が、はるばる太平洋を横断してアメリカ本土を砲撃しますが、この際にアメリカ空母機動部隊の反撃を受けます。
    南洋の泊地で船体を修復し、補給を受けた後、その空母を魚雷で撃沈して日本へ帰還する……というもの。
    主題歌は古関裕而作曲、劇中歌「潜水艦の台所」は古川緑波が歌っています。

    注目されるのは、潜水艦の運用・戦闘の描写が非常に細かく、リアルなこと。
    砲の取り扱いや魚雷装填・発射の手順、敷設された対潜水艦網を突破する様子や潜水艦での生活など、ここまで表現しているのは、海外の実写映画でもそうはありません。
    かなり詳細に取材したことがうかがえます。攻撃する艦番号13の空母も、実際の空母フランクリン(CV-13)のような形になっており、ここでも海軍からの資料提供があったことがうかがえます。
    実際のイ1は、この作品が公開される前年の1943年1月に戦没しました。

    ストーリーも荒唐無稽に思われるかもしれませんが、実際にイ1などの巡洋潜水艦(巡潜)は太平洋を横断し、アメリカ西海岸で作戦行動をとって帰還できるほどの長大な航続距離を持っており、巡潜乙型のイ19、イ25、イ26などはアメリカやカナダ本土を砲撃し、イ25は搭載した飛行機で史上唯一のアメリカ本土爆撃も行いました。
    この他にも日本の潜水艦は、アメリカ西海岸で通商破壊作戦や偵察任務に従事しています。



    ※以下全文
    http://otakei.otakuma.net/archives/2015081001.html

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    1:2015/08/01(土) 10:44:20.39 ID:
    http://biz-journal.jp/2015/07/post_10922.html

    今月16日、安全保障関連法案が衆議院で可決された。これは、自衛隊法などの改正を一括して行う「平和安全法制整備法案」と、自衛隊による米軍などの後方支援を可能とする「国際平和支援法案」の2本立てである。
    法案成立をめぐっては、国会周辺で人々が「戦争反対」のプラカードを掲げて演説を行ったり、一部のメディアや識者から「日本が戦争をしやすくなる環境が整いつつある」といった指摘もなされるなど、国民的な議論が起こっている。
    このように「戦争」という言葉がにわかにクローズアップされつつある中で、「戦争は経済に利益をもたらす」という主張をよく耳にする。
    戦時には武器や弾薬、兵士の食糧などが大量に必要になり、それらを扱う企業が儲かる。さまざまな技術が戦争をきっかけに開発される。
    戦争が終わると、戦時中に破壊された多くの住宅やビルが建て直され、経済活動を刺激する――。
    だから戦争は悲惨であっても、国を経済的に豊かにする、というのである。

    しかし、これは本当だろうか。
    米国の経済ジャーナリスト、ヘンリー・ハズリットは、第二次世界大戦終結直後の1946年に出版して以来ロングセラーとなっている
    著書『世界一シンプルな経済学』(村井章子訳/日経BP社)で、戦争が経済にプラスに働くというこの説を取り上げ、それが間違っていることを明らかにしている。
    ハズリットはまず、「割れた窓ガラス」という寓話を紹介する。悪童がパン屋の窓ガラスを割る。
    それを見た近所の人が「窓を割られたのは不運だったが、悪いことばかりでもない」と言い合う。
    「例えば、そら、ガラス屋が仕事にありつくじゃあないか」。代金を得たガラス屋は、その分かそれ以上を別の店で使うだろう。
    その店の主人はまたその分を……という具合で、割れた窓ガラスは、次第に大きな範囲で収益と雇用を生むことになる。
    すると、この寓話の結論はこうなる。「ガラスを割った悪童は、町に損害を与えるどころか、利益をもたらしたのだ」
    さて、この結論は正しいだろうか。ハズリットは次のように異を唱える。たしかに悪童のいたずらは、とりあえずガラス屋の仕事を増やす。だが実はパン屋の主人は、窓ガラスの修理代金で礼服を買うつもりだった。
    それが250ドルだとすると、パン屋の主人は、以前は窓ガラスと250ドルの両方を持っていたのに、今では窓ガラスしかない。
    窓ガラスと礼服の両方を手にする代わりに、窓ガラスのみで満足し、礼服は諦めざるを得なくなったのである。

    「パン屋の主人を地域共同体の一員と考えれば、この共同体は仕立てられるはずだった礼服を失い、貧しくなったことになる」
    つまり窓ガラスを割ったことで共同体が豊かになるという考えは間違いなのだ。しかし世間の人々の多くは、寓話に登場した近所の人のように、破壊が社会を豊かにするという錯覚に陥りがちである。
    なぜか。
    それは「人は、直接目に映るものしか見ない」からだとハズリットは指摘する。「人々は、翌日か翌々日にもパン屋に真新しい窓ガラスが輝くのを見るだろう。だが注文されずに終わった礼服を見ることはない」。
    だから目の前の新しい窓ガラスだけに気を取られて、手に入るはずだった礼服を失ったことに気づかない。
    パン屋の主人は、やむを得ず窓ガラスを修理するという選択をしたために、礼服で得られる満足を失った。
    2:2015/08/01(土) 10:44:27.50 ID:
    機会費用
    このように、ある行動を選択することによって犠牲にする価値を、経済学では「機会費用」と呼ぶ。目に見えない費用ともいわれる。
    目に見えるものからだけでは、本当の損得はわからない。
    機会費用の考えを頭に入れれば、戦争が経済を繁栄させるという主張が誤りであることはもうわかるだろう。
    戦争で破壊された住宅やビルが次々に建て直されていく様子は、目に見える。いかにも経済が活力にあふれているように見える。しかし、もし戦争がなかったら、
    住宅やビルは破壊されなかったし、再建に充てられたお金は人々を満足させる他の目的に使われ、社会をもっと豊かにしていたはずだ。
    戦争中には軍需産業が儲かり、経済成長を押し上げるかもしれない。しかし、武器や弾薬は戦争には必要であっても、国民の生活を便利にするものではない。だから戦争が終わると軍事物資への特需は消え失せ、経済は不況に陥る。
    もし戦争がなければ、企業は消費者が本当に欲しがる商品やサービスに力を入れ、経済成長はもっと地に足の着いた、息の長いものになるだろう。
    ネットは、もっと便利になっていたはずである。

    もともと軍事上の必要から開発された技術は少なくない。
    例えばインターネットは冷戦中、米国がソ連からの核ミサイル攻撃を想定し、非常事態でも指揮系統を失わない分散処理システムとして開発された「ARPANET(アーパネット)」が原型とされる。
    私たちはネットのすばらしさに目を奪われがちだが、ここでも目に見えない費用を忘れてはならない。
    政府が商業利用を考えず開発した技術なので、使い勝手が必ずしもよくない。個々のパケットに異なる値付けをする仕組みがないため、回線容量を上回る利用が殺到し、しばしば通信が滞る。公営の道路と同じだ。
    もしネットが最初から民間企業によって民生用に開発されていたら、もっと使いやすいネットワークになっていただろう。
    戦争は個人にとって痛ましい出来事であるのと同じく、個人の集団である国にとっても、痛ましい出来事なのだ。
    戦争が国を豊かにするなどというウソに騙されてはいけない。

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    1: :2014/09/10(水) 12:38:37.36 ID:

    sensou_to_tero

    (2014年9月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

    今年の初め、投資家向けの大きな会合で「地政学的リスク」について講演する機会があった。ロシアから中東、南シナ海、ユーロ圏に至るあちこちの状況を駆け足で説明した。その後、同じように演壇に立った著名なプライベート・エクイティー投資家とコーヒーを飲みながら話をすることができたので、地政学的リスクのことをどれぐらい考えているのか尋ねてみた。

    彼の返事はこうだった。「ほとんど考えませんね・・考慮するのはもっぱら会社とキャッシュフロー、投資案件そのものですよ」

    ★戦争や地政学的混乱を尻目に活況を呈する株式市場

    この人物は、マドリードまで私のジェット機でお送りしましょうかという言葉で会話を締めくくったほどの大金持ちだから、この発言を聞き流してしまうのは賢明ではあるまい。投資家にしてみれば、政治のニュースはスポーツニュースよりは少し大事かなという程度の、いわばバックグラウンドノイズとして扱う方が理にかなう場合がほとんどだ。

    1人の人間として見れば悲劇になる出来事も、投資家にとってはそれほど重要でない出来事になる。実際、シリアの戦いでは20万人近い人命が犠牲になっているが、その一方で株式市場は活況を呈している。

    市場と政治の断絶は、ここに来て特に鮮明になっている。先週には、新聞がウクライナや中東の戦争の話、そして英国が分裂するかもしれないという話で埋め尽くされたにもかかわらず、英国のFTSE100指数は14年ぶりの高値をつけた。

    その前の週には、米国のS&P500株価指数が史上初めて2000ポイントの大台を突破した。

    恐らく、政治評論家がこういう話を耳にしたら、だから投資家は近視眼的なんだと苦々しい表情を見せることだろう。しかし、それは違うかもしれない。市場の方が正しいのかもしれないのだ。もちろん、時には政治的ショックが株価をしばらくの間下落させることもあるだろう。

    だが最近の経験に照らせば、株価は驚くほど早く値を戻すことが多い。例えば、2001年9月11日の同時多発テロ後の最初の週に、ダウ工業株30種平均は14%下落した。ところがダウもナスダック指数も、その2カ月後には9.11前の水準を回復していた。

    ★「地政学的好機」に沸いてきた世界

    国際政治が投資家の向こう数年間の――数カ月や数週間ではない――見通しを本当に変えてしまうということが見られなくなって久しい。筆者が思いつく限りで言えば、そういう状況は1973年の第4次中東戦争とそれを機に生じた1970年代のオイルショックの時、そして1979年のイラン革命の時が最後だ。

    これ以降は、地政学的リスクよりも地政学的好機という聞き慣れない概念の方が、世界の特徴をうまく言い表す言葉になっている。

    例えば、毛沢東主義の終焉がもたらした政治的変化は中… 以下略

    http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41694

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    1: :2013/08/24(土) 17:28:43.89 ID:

    http://girlschannel.net/topics/1000616/ baf6803b

    貴重ということばを辞書で引いてみると、「きわめて大切なこと」や「とうとび重んじること」とある。原爆投下後の広島で暴力的に生きる少年たちを描いた漫画「はだしのゲン」をいくつかの新聞は、「貴重な作品」と評していてびっくりした。たぶん辞書を引くのをお忘れになったのだろう。

    ▼ゲンは昭和48年、少年ジャンプで連載が開始された。当時抄子は、なけなしの小遣いをはたいてジャンプを毎週買っていたが、「ど根性ガエル」は覚えていてもこの作品は、ほとんど記憶がない。同誌名物の読者アンケートでも下位を低迷していた。

    ▼同じ作者の手による「反原爆」漫画でも、大阪万博の年に発表された「ある日突然に」の方が、被爆2世とその父の哀切を描いて完成度が高かった。にもかかわらず、ゲンが全国津々浦々の学校に置かれるようになったのはなぜか。

    ▼ジャンプで連載が打ち切られると、ゲンは、日本共産党系雑誌に、そこも打ち切られると日教組系雑誌に掲載された。根拠のない日本軍の“蛮行”や昭和天皇への呪詛(じゅそ)がてんこ盛りになったのもこのころである。

    ▼親の知らぬ間に、「平和教育」の美名の下に教師たちが、グロテスクな「反天皇制」漫画を喜々として図書室や教室に置いていったこと自体がおかしい。松江市教育委員会は、教師の許可を得てから閲覧させるよう市立小中学校に指示したが、当たり前で遅すぎるくらいである。

    ▼同時代にジャンプでヒットした永井豪の「ハレンチ学園」は、ついぞ小学校の図書館に置かれなかったが、誰も言論抑圧とは言わなかった。ふだんは漫画を下に見ているのに、ゲンだけを特別扱いにする教師や新聞には、何か別の意図があると疑ってかかった方がいい。

    ソース(MSN産経ニュース、8/24付 「産経抄」) http://sankei.jp.msn.com/life/news/130824/edc13082403570000-n1.htm

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